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京極夏彦著『死ねばいいのに』iPad版電子書籍等配信・販売に関する記者会見について

5月20日、弊社会議室にて「京極夏彦著『死ねばいいのに』iPad版電子書籍等配信・販売に関する記者会見」を行いました。以下、弊社代表取締役副社長野間省伸の会見要旨「メディアの皆さまへ」と、京極夏彦さんの「所見」を掲載いたします。
皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。

講談社

メディアの皆さまへ

本日はたくさんのかたがたにお集まりいただきましてありがとうございます。

このたび講談社は、5月15日に書店店頭にて発売となりました作家・京極夏彦さんの最新刊『死ねばいいのに』を、電子書籍としても販売することにいたしました。わが社が、書籍の新刊を刊行とほぼ同時にデジタル化するのは初めての試みです。

価格は閲読していただく端末別にいくつか分かれています。
紙の新刊1700円に対して、アップル社の「iPad」やパソコンへのダウンロードは2週間のキャンペーン期間中は700円。その後、キャンペーンが終了いたしますと900円となります。また、携帯電話でお読みいただく場合、1章ごとに100円です。(アップル社・App Store 以外は税別)
いずれのケースにおいても、冒頭の第1章など、無料でダウンロードできる部分をもうけています。なお、配信時期はアップル社の認可待ちとなりますが、6月の上旬を目指しております。

電子書籍を読むことが可能な端末は、今後、国内外から次々と登場することが予想されます。今回は、多くの読者の皆さまに支持をいただいている京極夏彦さんという作家のご協力を得て、実験的な意味合いを込めながら、電子書籍とはどんなものなのかを、広く読者の皆さまに体感していただくチャンスにできればと考えております。先ほどふれました価格の設定については、社内で原価計算のシミュレートを重ねた結果、これもまた初めての試みのなかで決定いたしました。

依然として、電子書籍をめぐる報道においては、「紙か電子か」というゼロサムの視点が少なくありません。しかしながら電子書籍が本格化する意義は、紙かデジタルかという単純なものではないと考えます。従来から存在する紙の本とその読者のかたがたに加えて、さらに新たな手段で同じ作品を読むチャネルが増えていく、新たな読者が生まれていくという利便性の向上にほかなりません。結果的に、紙の本の需要を刺激して、著作者はもちろん、リアル書店を含めた出版市場を活性化していく可能性を秘めているものであると信じております。

今後、講談社は、読者の皆さまの利便性をますます高めていくために、国内外から市場に登場してくるさまざまな電子書籍端末等に、積極的に書籍をリリースしていきたいと考えております。
紙に印刷された「本」のみならず、いろいろな形で読者の皆さまが本に接していただくことで、読書の楽しみをより一層お感じになっていただけたら幸いです。

講談社 野間省伸

所見

テキストデータを配信することと電子出版は、有償無償を問わず、まったく違うものであると考えています。テキスト=書籍ではありません。たとえば小説も書籍の素材でしかないと私は考えています。

小説を含むあらゆる文書は読まれることを前提として書かれるものです。読者に有償で提供される文書の場合は、読んで戴く(買って戴く)ための惜しみない努力が必要となることでしょう。その努力の積み重ねこそが「書籍」という類い稀なる「優れた商品」を生み出したのです。その根幹をなす発明が「版」です。出版社はその名の通り、テキスト販売をしているのではなく、「版」を売っている「版元」なのです。

日本語表記は他に類をみない程、複雑で表現力に富んでいます。縦書き横書きは自在、漢字、平仮名、片仮名、ローマ字、記号など多様な文字種を使用することができ、ルビをふることも可能です。表意文字と表音文字の混在表記というだけでその特異性は明らかでしょう。日本語で書かれた小説は、普くこの日本語の視覚言語としての優位性に依って立っています。その優位性を十二分に引き出すために「版」は作られるのです。日本語の版面はそれだけでハイパーイメージツールとして機能しています。そのツールをパッケージ化したものが書籍に他なりません。

電子メディア・電子ネットワークの普及により、情報のありかたは抜本的に変わってしまいました。情報は劣化することなく複製され、瞬時に共有化できるようになりました。これにより、広告や情報伝達のありかたも変わらざるを得なくなるでしょう(現に変わってしまいました)。インタラクティブな通信網は、放送という概念さえも無効化しつつあります。しかし、書籍は「情報」ではありません。テキストデータを配信することは容易なことですが、それは「書籍」でも「出版」でもありません。出版社を抜きにして電子「出版」はなしえません。また、編集者なしに電子「書籍」は作り得ないと考えます。データはコピーされてしまいますが、プレゼンテーションのシステム自体は複製できるものではないのです。

テキストは、音楽に例えるなら楽譜に過ぎません。奏者なくして音楽はエンドユーザーに提供されることはないでしょう。書籍作りに携わるすべての人々こそがその奏者となるのです。そして編集者は、書籍という音楽の要となるコンダクターに他なりません。優れた譜面を書いたとしても、それをそのまま一般の聴衆に提供して「理解しろ」というのは無理な相談です。それでビジネスが成り立つと考えているならば、それは作り手の傲慢でしかないでしょう。テキスト自体は素材に過ぎず、「版」こそが商品となり得るのと考える所以です。配信は個人でもできるでしょうが、出版は個人ではできません。そして「版」を不用と切り捨ててしまうことは、これまで培ってきた日本の出版文化の豊饒の大部分を切り捨ててしまうことに等しいでしょう。

海外で開発されたブックリーダーは、今のところ日本語組み版の豊かな表現力に対応するものではありません。フォントやレイアウトといったビジュアル面はある程度カバーできるようになるのでしょうが、本邦の出版文化に馴染むスタイルが確立出来るかどうかは疑問です。本質的に日本語表現に適したオリジナルのマルチプラットホーム・アプリケーションを開発することが、電子メディアにおける「版」の基本となることでしょう。それは紙媒体における「版」とはまた違ったものであるはずですし、あるべきものです。紙と電子は「違うもの」です。使い方も使われ方も違う別のものです。そしてそれはいずれも出版社の「商品」となるものであると考えます(携帯電話への「配信」はサービスであり、いわゆる電子出版とは一線を画すものと私は考えています。携帯電話上でのリーダビリティを考慮するなら、その環境を考慮したテキスト自体の新規作成が必要と考えるからです)。

昨今の出版不況は、広告出稿量の激減やワークフローの機能不全、出版社の企業体質の特異性などなど、様々な理由が入り組んだ形で発現しているものであり、電子メディアの台頭にのみその理由を求めるのはナンセンスです。電子出版は、むしろそうした多くの不具合を見直し、新たな財源として出版文化を支えて行く可能性を秘めていると考えるべきでしょう。

そうした観点に立つ限り、(書籍に関していうならば)紙媒体と電子媒体を対立項として捉えることはあまり意味のないことになってしまいます。どれだけ普及したとしても、電子メディアは個人のおかれた環境に依存する形で機能します。しかし書籍は環境如何に依らず、識字能力さえあれば有効に機能する、優れたメディアなのです。いわゆる「紙の本」がなくなるなどという事態は、現実的にあり得ないことでしょう。

前時代的な「活字離れ」という常套句も、現状すでに的外れなものとなっています。電子出版によって書店の経営が圧迫されるような事態は考えにくいでしょうし、あってはならないことだと考えます。電子出版自体が書店を活性化させるというビジネスモデルを構築することも不可能なことではありません。「紙の本」はなくなりません。もしそれがビジネスとして成立しなくなるとしたら、理由は電子出版以外に求められることでしょう。

今回のiPadをプラットホームとした新刊デジタル販売はあくまで試験的なものとなるでしょう。「版」の構築もまだ不完全です。ただし、それが読者の方々、そして書店を含む出版界全体の動向を見据えたビジョンに則ったものであるならば、何らかの指針となることは間違いありません。出版界の末席を汚す者として協力することは吝かではないと判断した次第です。

本邦における電子出版事業が成功するかどうかは未知数というよりありません。しかし、それが軌道に乗った暁には、必ずや旧来の出版文化を補完し、支援するものとなると信じます。

京極夏彦(小説家)